21第1章 財団設立の経緯■奔走する北野事務官 Bilngerの合意をとりつけたことで、あとの折衝は一気に進んだ。文部省に対しては、「財団設立後、東洋アルミニウムが引き続いて財団運営を金銭的に援助する証として、事務補助費30万円を毎年寄付する」という付帯条件を提示することにした。30万円という金額は、当時の女子事務員1人分の年間人件費に相当する額で、東洋アルミニウムが財団運営もきちんとしますという意思表示を兼ねていた。そのことにより文部省も納得をし、財団設立への承諾を出してくれた。 1954年(昭和29年)12月8日、財団法人設立の決議をする東洋アルミニウムの臨時取締役会が開催された。その日のうちに作成された議事録は、大阪府の教育委員会に提出され、文部省の北野事務官に届けられた。 設立に必要な関係書類は、すべて文部省の指導材をたくさん育てることが、絶対必要なことであるという信念があった。彼もまた、アルミニウム産業のために高い理念を持ち続けた人間のひとりであった。 こうして、軽金属奨学会の定款と設立趣意書は完成した。今も設立趣意書の最後のパラグラフにある「経営学の助成振興にまで広めることを究極の目的としている次第である」という文言は、このようにして盛り込まれることになったのである。 1954年(昭和29年)12月、世界初の軽金属専門の財団はこうして設立されることになった。小山田裕吉がこの日をどれだけ待ち望み、財団の未来に希望を抱いていたのか、高らかに謳い上げられた設立趣意書に、一徹な明治男の熱を感じることができる。ここで、その全文をご紹介しておきたい。 わが国金属工業に占める軽金属工業の分野は大きい。軽金属のうちでもアルミニウムの用途は諸外国の例に徴しても洋々たるものがある。従って、アルミニウム業界は国内の需要を充す以外に輸出産業として日本経済の自立に大いに貢献し得る産業である。しかしながら国際的には各国の競争は激烈を極め、わが国製品の原価高と相俟って当面は輸出不振を続けており、かくては、再建途上にある日本経済に影響するところ少なからざるものがあるのである。 ひるがえって業界をみるに設備、技術のみならず経営全般に亘って合理化を図り製品原価の切下げに日夜研鑚はしているものゝ、先進国の有利な地歩を凌駕するためには、更に根本的なアルミニウムに関する基礎的な研究や調査をこそゆるがせにしてはならない恒久施策であることがわかる。 東洋アルミニウム株式会社は、こゝ数年に亘リ同業者団体である軽金属ロール会の理事長会社を勤めているので、この種研究機関の必要性を強調して参ったのであるが、この種の研究調査は投資額に比して直ちに各企業に寄与するところ少なく、且つ何分にも業界の規模が大きくないために同業者が共同研究機関を設立する資金に乏しく機運も亦高まらぬまゝに今日に至っているのであるが、今日の事態は自己の利益のみを考え、徒らなる遷延を許さず、一日も早くかゝる研究に着手すべきであると考えられる。そこで今直ちに研究機関を設けることはなお困難であるため、その根基を培うべく教育機関であって軽金属に関する学科を置く学校や軽金属に関する研究者に必要な資金を交付し斯学の教育や研究を助成奨励し、延いてはわが国軽金属学術の振興に寄与しようとし、こゝに東洋アルミニウム株式会社の寄附金により財団法人軽金属奨学会設立を発起するに至った次第である。 東洋アルミニウム株式会社は明後年四月に創立廿五周年を迎えるので当社自体としてはこの財団を、その記念事業として発足せしめる予定であったが、この一年は将来の十数年にも匹敵するときでもあるのでこれを公益法人として設立し広く我が国軽金属工業、軽金属学術の発展向上に積極的に貢献することとした次第である。当面の目標は前記のように軽金属特にアルミニウム工学の振興助成事業であるが、関係者の協力を得てできるだけ近い将来に金属工業の全分野に亘る研究及び経営学の助成振興にまで広めることを究極の目的としている次第である。この趣旨に大方諸賢の御賛同と御協力を賜わらんことを切に願うものであります。以 上昭和29年12月財団法人軽金属奨学会設立趣意書
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