23第2章 財団の草創期■金属学の大家、西村教授に相談 軽金属奨学会を運営する役員は、理事と評議員、監事、事務局で構成されている。役員の位置づけとしては、実際に財団の事業運営などに携わる現役教授らで構成する理事、事業活動を吟味して承認するお目付役的立場の評議員、事業監査役の監事、実務面や事務処理全般を担当する事務局という役割分担である。 初代の役員選出について小山田社長は、軽金属学界の重鎮であった西村秀雄京大教授に相談した。西村教授は、京大の工学部冶金学科で多くの人材を育てた金属学の大家で、第2代東洋アルミニウム社長となった川島浪夫も、西村門下生のひとりだった。戦後、名古屋軽合金製造所から住友アルミへ転出してきた川島の能力を認め、同社の要である八尾工場長に抜擢した小山田にとって、川島は頼りとする腹心の部下の一人であった。そういった関係から小山田は、財団運営の要となる人材選出について、川島の恩師である西村教授に相談を持ちかけたのであった。 西村教授は、アルミ合金の特性である「時効硬化性」という現象を、世界に先駆けて状態図的に解明した学者で、小山田が財団設立を相談した1955年(昭和30年)は、ちょうど60歳定年退官の年にあたっていた。 西村教授と小山田初代理事長の邂逅から60年。軽金属奨学会歴代理事の面々が皆誠実で、軽金属発展のために無私の姿勢で活動に取り組んでくださる人脈となって連綿とつながってきたのは、財団の出発点で西村秀雄氏という人物に出会うことができ、氏のアドバイスを通じて役員構成が果たせたことが大きな礎となっている。財団設立60年を語る上で、忘れてはならない功績者のひとりである。■財団運営メンバーの選任 西村教授に財団設立の相談を持ちかけた小山田は、財団にかける自身の夢を語り、その大志を実現するために、財団の柱となる学界の人材を推薦してもらいたいと依頼した。小山田の基本的な考え方は、我が国軽金属の頭脳集団と呼ぶにふさわしい、旧帝大の現役教授陣で役員を構成したいというものであった。 西村教授はそれに応えて、国内トップクラスの金属学の専門家を、東大・京大・阪大の3大学から推薦した。東大からは航空研究所の麻田宏教授が評議員に、阪大からは非鉄精錬専門の松川達夫教授が理事に、京大からは西村先生の門下生だった村上陽太郎教授が理事に選任され、主要大学の専門家が集結することとなった。西村教授は高齢であることを理由に、自身は評議員として運営に関わることにして、門下生である村上教授を理事として推薦した。 東大の麻田教授は、現在の宇宙科学研究所の前身である航空研究所で、冶金や材料部門の中心人物であった。航空研究所は、もともとは航空機の基礎研究を担っており、麻田研究室は航空機用軽金属材料の研究を行っていた。戦後は占領軍により一切の航空技術研究が禁じられ、東大の航空研第2章 財団の草創期西村秀雄 京大教授(昭和31年撮影)
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