24(額面500円)が財団に寄付された。同時に、アルキャン所有の株式3,200株(額面500円)も2月に寄付された。この株式は1950年(同25年)8月、東洋アルミニウムの従業員及び縁故者に対して、東洋アルミニウム株式が分譲されたとき、取締役(非常勤)であったG.W.Mackie氏が1,000株を取得し、後日アルキャンを退職の際に会社に譲渡したものであった。 この当時、財団に寄付された株式が時価としてどれくらいの資産価値を持っていたのか、業界誌「月刊 軽金属時代」の一條締吉社長が、東洋アルミニウム設立25周年を特集した記事で、次のような文章を残している。−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・− 最近伝えられる大変気持のよいニュースとして、アルテッド(=アルキャンのこと)が東洋アルミの持株50%を超える3,200株を寄附し、同社の奨学基金とした事実がある。3,200株は500円株として160万円であるが、東洋アルミ株を市販するとなれば、恐らく払込額面の4倍強にはなるだろうから、その価格は640万円から1,000万円位の額となろう。東洋アルミは25周年記念としてすでに奨学金制度を実施し昨年来年額約150万円の奨学金を贈っているが、アルテッドからの寄附によって、この奨学金は今後更に増大するわけである。−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・− 一條氏の原稿はアルキャン株だけに言及されているが、これに加えて為永会長寄付分の15,360株があったので、設立時に寄付された東洋アルミニウム株式は総数18,560株となる。総額では額面で928万円、市場価格の推定は簿価でも3,700万円程度と推測できる。これを、現在の貨幣価値にすると、どれくらいと見積もられるのか──。 朝日新聞社編の『新・値段の風俗史』によると、昭和30年当時の公務員の初任給は約9,000円(現在では約20倍になっている)、タクシーの初乗り究所も1946年(昭和21年)に理工学研究所に改組されるなど、大戦に翻弄された歴史を持つ。サンフランシスコ講和条約によって、航空研究が再び可能になった1958年(同33年)に航空研究所が復活するのだが、財団の評議員就任を依頼したのは、その前夜という時期であった。 そういった、我が国金属学の碩学たちひとりひとりに、新しく設立される財団の役員として就任してもらえるよう依頼をし、心良く応諾が得られたことで、ほぼ役員構成の骨格は決まっていった。設立当初の理事、監事および評議員は次の通りである。−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−理事長 小山田裕吉 (当社代表取締役)理 事 松川 達夫 (大阪大学工学部教授) 和栗 陽 (住友信託銀行㈱常務取締役) 村上陽太郎 (京都大学工学部教授) 福冨 正孝 (当社支配人)監 事 日野 国雄 (当社顧問弁護士) 根本 義 (当社総務部長)評議員 為永 清治 (当社取締役会長) 小菅 金造 (当社取締役) 西村 秀雄 (京都大学工学部教授) 草野 義一 (日本軽金属㈱社長) 麻田 宏 (東京大学工学部教授) 川島 浪夫 (当社取締役)−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−以上 (「東洋アルミニウム株式会社50年史」より抜粋)■株式寄付により基本財源が強固に 決定した役員陣を集めた第1回の「評議員会及び理事会」は、1955年(昭和30年)1月31日に開催された。会議の席上、当初からの予定通り、為永清治会長から東洋アルミニウム株式15,360株
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