32 2003年(平成15年)、事務局長として鬼頭勝が選任された。■第6代理事長に垣谷公仁を選任 2004年(平成16年)、第6代理事長に、垣谷公仁が選任された。また、千葉工業大学教授の茂木徹一氏及び今須聖雄が理事に選任された。 アルミ製品の年間総需要は433万トンを超えた。 2005年(平成17年)、アルミ缶リサイクル率が86.1%と過去最高を記録。■第7代理事長に今須聖雄を選出 2007年(平成19年)、第6代理事長垣谷公仁の逝去に伴い、今須聖雄が第7代理事長に選出された。 また、同年、第5代理事長小南一郎も逝去した。 当年から、統合的先端研究の事業が新設された。この事業は、中心的研究課題に対して、研究手法の異なる複数のグループ(当面3グループが望ましい)の協力関係により、単一のグループでは不可能な横断的成果を公表でき、将来に向けて軽金属に関する高度な教育・研究基盤を確立することの出来る研究者集団を助成対象とする。 募集対象は、当面、アルミニウム及びアルミニウム合金に関する分野に限定し、その内容としては、先端鋳造技術、ナノ・メゾ組織制御と機能最適化、圧延・加工・熱処理技術、粉末冶金技術、リサイクル技術等とする。 研究期間は2年、助成金額は1,800万円、成果次第では、200万円を上限として上乗せ交付の場合ありと言う規定だ。 2008年(平成20年)、1987年より21年間理事を務めて頂いた長村光造氏に代わり京都大学の落合庄治郎氏、及び東洋アルミニウム㈱濵田隆久が理事に選任された。 2009年(平成21年)、宇宙科学研究所教授の佐属協会の事業、会員、資産、職員等を継承するかたちで、統合団体として社団法人日本アルミニウム協会がスタートした。 同年、日本軽金属と東洋アルミニウムが合併。合併に伴う配当増があり、資産総額は17億円を記録する。■株式で保有し続けた基本財産に救われる 2000年(平成12年)、ボトル型アルミ缶が開発され飲料容器としてデビューする。東洋アルミニウムは日本軽金属の100%子会社となり、財団の保有株式は日本軽金属の株式1,491万株へと交換された。 この時期以降は、景気低迷による配当金減少と低金利時代の影響で利息収入が大幅に減少し、多くの国内の財団が、運営不全に陥る時代環境となった。こうした財団運営受難の時代にあっても軽金属奨学会が事業を継続してこられたのは、基本財産の大部分を東洋アルミニウムの株式(現在は日本軽金属ホールディングス㈱)として保有し続けてきた結果であった。 設立以来たびたび、文部科学省からは「時価変動の激しい株式は、財団法人の基本財源には不適である」といった指導を受けてきたのだが、歴代理事長や事務局は頑としてこの言を受け入れなかった。結果的にこの判断が正しかったことは明らかだ。 バブル崩壊以降は企業経営も長期低迷を強いられ、それまでのような高額配当は実施されなくなっていったため、軽金属奨学会も苦しい予算運営を強いられてきた。現在、景気は力強さを取り戻しつつあり、それにともなって配当金収入も回復基調にあるが、低金利はボトム近くのままで改善されていない。 2002年(平成14年)、大阪大学教授の古城紀雄氏が理事に選任された。
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